SHOTOブランドの表紙 cutsewに戻る

T型シャツは駱駝の糸で編まれ高級な素材であった、そのために生地を捨てるところのないようにパターンが作られた、肩は接ぎ目なし、折り目端がワとなり
前襟ぐりは後ろヨークになりワークウェアーとして活用された、
その後ヨークのステッチには2本針、3本針飾り振りミシンが使われ 上振り糸は光沢のある8号糸が採用された。
お袖は無駄なく着やすくするためにマチが採用され、機能性と保温性から肌着として戦後大変人気があった。
1970年代はパリの高田賢三が DiorやSaint Laurentを基盤とする立体裁断のパリ・ファッション業界で この平面作図のTシャツを作り世界を席巻した

米国のTシャツは肌着として生産ロットが多いので丸胴で 脇縫い目が無く 工程を考えた合理的縫製で安く上がるように考えられている、
肌着のTシャツがアウターのTシャツに流行として変化するきっかけはマーロンブランドの「波止場」1954年と翌年のジェームスディーンの「エデンの東」「理由なき反抗」の若者の生活感からでしょう。




Tシャツの基本原型となったT型シャツ カットソーの神様と言われた・カットソーの元祖西川真令                               
第二次世界大戦の太平洋戦場では 蒸し暑さから米国軍に肌着として採用された,匍匐前進をするにも肩傾斜が無い方が機能的であった。
戦後 横山町界隈の生産基地となった墨田地域ではニットが盛んになり、
丸編みの編み流しから合理的に、肩接ぎなしで生地を捨てるところがないパターン(現実的にはパターン無しで作っていたので 立体的パターンが今なを作れないのが古い工場の現状) しかも生地ロスの無いT型のシャツでした、それが肌着に進みラクダのシャツと云われる高級感のあるものへと進んだ。
それとは別に成型ニットを型紙で裁断して2本針オーバーロックで縫い上げるために 肩傾斜をつけ 袖やアムホールを曲線にカットして縫い上げるカット・アンド・ソーイング(カットソー)が生まれ、カットソーは流行のパターンシルエットを取り入れ成長してきた。   
 (文化服装学院のオープンカレッジでTシャツ・カットソーを教える 西川真令